雪の音がする。

ほたほたと重たい雪が庭先に落ちていく。事件が終わって雨脚が遠ざかった稲羽はまるで季節を早送りしたみたいについ昨日初雪を迎えた。
去年は雪降るのもっと遅かったよね、と終業式の帰りに天城が里中と話していたのを思い出しながらゆっくりと白く染められていく庭をこたつから見つめて、菜々子とクマがはしゃぎそうだと俺ははかどらない冬休みの宿題を諦めてさっきからぼんやりとそれを見続けていた。もうずっとこうしているようにも思える。たまに台所の蛇口からこぼれる水滴の音がする以外雪がすべて飲み込んでしまったかのようだ。


「足立が送検された」


急な用事でもなければ電話をかけてこない忙しい叔父の電話が告げたのは、連続殺人事件の犯人である足立さんのことだった。一応耳に入れておこうと思ってな、と続ける叔父の声を耳に受けながら俺は本当に終わったんだと達成感のような、寂しさのようなものを感じていた。一言二言話して携帯の電源を切ってから、足立さんのこととか、みんなに伝えるべきなのかとか、そういうことを考えてやめた。


一年だけだからとしぶしぶやってきた田舎で、俺はひとつ決めていたことがあった。
良い子のふりはやめよう。
ようするに羽目を外そうと思ったのだ、入学早々モロキンに反抗したのもその一つ。
両親が多忙だということはじゅうぶん分かっていたし、両親が自分をとても大切にしてくれているのは分かっていたから今まで反抗らしい反抗はしたことがなかった。 それがつらいとは思わなかったけれどふつふつと俺のなかにたまっていったものがあったのを感じていたけれどみないことにしていた。
だから一年間だけは言いたい事を言ってやりたいことをやっておよそ生きていくうえでの仮面ははずそうと、そう決めた。実際は到底都会では味わえない、いや都会ですら味わえないだろう毎日を過ごして、感情を押し殺すのをやめるどころかさらけだしてしまった。 本当の自分、というのかは分からないけれど自分が自分になっていくような無理をして飾ったり笑顔を作ったりしなくてもいいと言うことがとても楽だと分かった。


最近ここから離れた後のことを考える。
ここに来る前の俺に戻って新しい学校に行って、新しい友達とそれなりに付き合って、たまに花村たちと連絡を取り合って、それでも寂しくなったら菜々子に電話をかける。菜々子はお兄ちゃん元気?、とか寂しそうに言って、泣き出しそうになったら叔父さんに受話器を渡して泣き声をひそめる、その小さな頭を優しく撫でながら叔父さんは俺の近況を聞いてくる。俺はそれに大丈夫だよ、とか返す。そこまで考えて急に胸が苦しくなった。
想像でこれだもの、実際に帰ったら俺まで電話口で泣いてしまうかもしれない。


なんのことはない、寂しいのだ。ここで築いた何もかもがいくら大切であろうと都会に戻れば喧騒の中に埋れてしまうことを知っているから、過去へと流れるのがつらくて、俺がここにいたということを俺は忘れてしまうんじゃないかと思ってしまって、聞き分けの良い俺に戻ったら大切な毎日までなかったことになるんじゃないかってそう、思ってしまう。
帰りたくないと駄々をこねるのは嫌だし、なにもなかったかのように帰るのはもっと嫌だ。


はあ、と目を伏せて窓の外を眺めるともうすっかり地面は雪で覆い尽くされてまっしろになっていた。落ちてくる雪はそのうえに降り積もっているのだろうが降り落ちる寸前に雪は見えなくなっている。さっきから雪を見つめているのもその見えなくなった雪をとらえたいとどこかでのぞんでいるのかもしれない。昼の光に照らされてすこしずつ溶け出してきている雪がきらきらと輝く。降り落ちた瞬間の雪はきっともう同化してしまっているのだろう。こぼれるように呟く。


「帰りたくないよ」


がたがたという音と共に菜々子の明るい声が音の消えた部屋に広がって、俺の情けない言葉も一緒に雪が飲み込んだ。俺はそれが庭の雪の上に降るようにこぼれたのを見届けてから冷蔵庫のプリンを菜々子に出すために台所へ向かった。

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