もう少し残酷だったなら

「――いらっしゃいませ。何名様で――」

店員のけだるげなマニュアル通りの声が背後に聞こえる、窓の前にあるカウンター席からは何名様かどうかは見えないがどうやら一人らしい、こんな時間に一人でファミレスだなんて寂しい奴だな、と思いながらそれは僕も同じだなと思ってやめた、気を紛らわそうと時計を見るともうすぐ日付が変わる。 読みかけの雑誌を置いて、ぬるくなったコーヒーを啜りながら窓の外を見ると底冷えしそうな外の暗がりの中に人影がいくつか見えた。多分遊んだ帰りなのだろう女達特有の耳障りな甲高い声を上げて騒いでいる、その中の一人にどきりと心臓が跳ねる。街頭の当たる曲がり角を曲がりきるまで心臓はばくばくと騒ぐ。 髪の短い女が一人、いた。真由美とよく似た――、フラッシュバックのように真由美の顔が脳裏で爆ぜ、テレビへ落としたときの歪んだ顔と感触が蘇ってきて穏やかだった心が赤く染め上がるのを感じる、かき消すように頭をがりがりと掻いた。

「足立くんまだその癖治らないんだ」

後ろから聞こえた声に飛び上がりそうになって振り向くとトレイにカップを載せた女が立っていた。ぼんやりとした印象を与えるその女はそのまま僕の横に座って緩慢な動作で丁寧にカップに砂糖を落としてかき混ぜる、一連の行動を憮然とした顔で見ている僕に気づいて微笑んだ。

「ああ、やっぱり覚えてない?」
「・・・」
「すぐに転校したから無理ない」

ふふ、とこぼれるようにはにかみながら女はスプーンをトレイに置く、悲しむでも怒るでもなく淡々と呟きながらコーヒーを飲んだ女の唇を見ながら何か言おうと逡巡するも何も思い浮かばない、カップのふちについたコーヒーを薄そうな舌で舐め上げながら授業もさぼってばっかりだったしね、といたずらっぽく微笑んだ。その横顔に昔高校にいた女子生徒の何人かの笑顔が混ざり重なって脳みそがくらりとした。

「高校の、・・・?」
「覚えてたの?そっかあ」
「・・・ていうかなんで僕だって分かったの」
「んー、他人の空似かと思ったんだけど、頭掻いてたから」

確かに僕は自分の頭を掻く、酷いときはがりがりと爪を立てて。子どもの頃からの癖でなるべくしないよう心がけてきたつもりだしましてやあまり気の抜けなかった学生生活でそれが露になることはなかったはずだ、ましてや友人や教師の前でなんて絶対にしていない、それは確信を持てる。ならこの女はいつそれに気づいた?途端に自分の横にいる女が不気味に思えてきて心の底が冷えてくる。

「他の生徒は気づいてなかったよ」
「・・・っ」
「そういうの気づきやすいんだ、私」

他人事のように呟いた女の横顔を見ると視線に気づいたのか目が合う。無感情な瞳の奥に凍えそうなくらい冷たい何かが沈んでいるのを見た。こいつは僕と同じなのかもしれないと少しだけ親近感が沸いたがすぐにそれは勘違いだと思い直す。違う。こいつはただ聡いだけだ。自分の周りに敏感なだけで自分自身には何も感じてない、劣等感も猜疑心もなにもないのだろう。羨ましいと同時に悲しいとさえ思う。

「そんな顔で見られると困っちゃうな」
「どう反応していいか分からなくて?」
「そう」
「昔もそんな感じだったわけ?」

すっかり冷たくなったコーヒーを飲みながら困ったように視線をそらした女にそう言う、喉を通る冷たい苦味を感じながら意地悪な質問かと思ったが僕を驚かせた罰みたいなもんだ、仕方ない。いまだ湯気が立ち上る女のコーヒーカップを横目で見ながらほくそえむ。

「そ、うだね。多分こんな感じだったかも」
「それで他の奴らもそんな風に観察してたわけだ」

さ、とカーテンを閉めるように女の瞳に暗がりが広がった、すこし言い過ぎたのかもしれない。外に見える街灯の近くにまだ真由美に似た髪形の女がいるような気がして胸に薄靄がじわじわと浸蝕する。これじゃあ罰じゃなくてただの八つ当たりだな、と目を伏せた。

「違うよ」

横で聞こえた明朗な声に目を見開く、窓に映る女の顔を見ると変わらず感情の読めない表情だが、どこかはっきりした部分を感じさせる。 まっすぐ僕の目を捉えた彼女の目に今度は僕が目をそらしたくなった。

「足立くんしか見てなかった、」

耳を疑った、僕が自意識過剰だったら告白だと勘違いしただろう。だが会って間もないこの女の事を僕は何故か理解し始めているからすぐに違うと分かる。どんな理由で僕を見ていたのかは分からないが甘ったるい恋心からではないと確信できる。

「それってさあ、告白みたいじゃない?」
「・・・ほんとだ」

案の定女は少しだけ驚いた表情をして告白って初めてだ、と女は照れたように笑いながらコーヒーを飲んだ。その姿をどこか可愛いと思ってしまったのは多分深夜だからでこの女に親近感を一度でも感じてしまった規制のゆるい自分の心のせいだろう。

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