あることないこと山猿と
「よォ七代、今日もチビだなァ」
鬼丸の頭一つ分低い七代が、黙ってればかわいらしい顔を大きく歪ませて目の前の人間を睨み付けた。
七代の身長は小さいわけではない、いたって標準、平均身長である。ただ、ちびっ子忍者と揶揄される日向輪とセンチ違いであるがために、たびたびこうした端的で明瞭な「チビ」という言葉を浴びせられることがある。
そのたびに七代は、しとやかに笑って「こら」とちょっぴり怒るくらいでいいじゃないか、相手は2年生だ。先輩は後輩に余裕ある態度を見せて、からかってもしょうがないぞと教えてやるのが賢いやり方だと思っている。
思ってはいるのだ。
「うるせえんだよ童貞野郎」
ところてんより滑らかに口から出てきたのは、朝子先生が聞いたら卒倒しそうな言葉だった。微笑めば鴉乃杜の男子学生の半分は彼女の虜だろうに、そうではないのは、まさにこの口の悪さが原因である。とはいえ、そのもう半分はそんな口の悪さが逆に良いと言っているのだがそれは今は関係のない話だ。
「あんだとテメェやんのか!?」
カッと頭に血が上ってそう言う鬼丸だが、実際彼の顔は罠にかかった獲物を見るそれであり、殴り合いの喧嘩に持ち込もうとしているのが見え見えである。普段はそういったことを考えていない鬼丸だが、こういった時の機転は回る。
ところが今回はそうはいかないらしい。戦闘態勢に入りつつある鬼丸の後ろから、ぬっと人影が現れる。こちらはこめかみをぴくぴくと戦慄かせながら鬼丸と七代を見下ろしている。憤っているのは目に見えて分かるが、そのどこかくたびれた雰囲気から漂う疲労感からか大した威圧感はない。むしろ肩でも叩いて労ってやりたい気苦労さがある。
「んだァ?邪魔すんじゃねェぞ御霧!」
怏怏と声を荒げる鬼丸を一瞥して鹿島がうっとおしげな声で言った。
「今日は作戦の打ち合わせだと言っただろうが!頭領が居なくてどうする、団員共をまとめるのはお前の役目だろう」
団員共、の部分が馬鹿と並列に聞こえる言い方をした御霧に鬼丸はチッ、と舌打ちを打った。さっきまでの威勢はどこに行ったのか、すねた子供のように口を尖らせる。お母さんに叱られて帰らないとならなくなった子どもみたいだ。
「早く行きなよ山猿」
七代がしっしっと手で掃う仕草をすると、鬼丸は何かを言おうとしたが、鹿島が横で眼鏡を鋭く光らせたので口を噤む。自分に非があると素直になるのは美徳であるが、めったに出ない鬼丸の態度に七代も内心笑わざる負えない。こうしてみるとやはりかわいいものである。
「馬鹿にしやがって……、ケッ、じゃあな!チビ!」
前言撤回。
次に会ったら鬼丸のどてっ腹に札強化したバドミントン柱を叩きこんでやる。
走り去っていく鬼丸の姿に七代はそう決意した。
「悪かったな、うちの馬鹿が」
踵をかえしかけた七代は鹿島の言葉に立ち止まる。うちの馬鹿、というとなんだか鬼印盗賊団が大きなままごとグループにも見えてくる。さしずめ鹿島はお母さん役だろうか。そんなことを思い浮かべながら七代はニヤニヤとした。
「しつけはちゃんとしないといい子に育たないよ」
「俺はアイツの母親か!?―――いや、それはいい。良くはないが、というかだな、七代」
「なに」
「さっき、その、義王を童貞野郎と言っていたが、」
「え、なにマジなの?」
気恥ずかしそうにいじっていた眼鏡を折らんばかりの勢いで鹿島は「違う」と声を荒げた。
「……女の子がそんなこと言うもんじゃない」
「あ?」
思わず間抜けな声を出してしまった七代は、目を丸くして鹿島を見た。頬をやや薄く朱色に染めた鹿島は眼鏡をくい、と上げ「じゃあな」と足早に鬼丸の走り去った方へ歩いていった。
ぽかんとした顔をした七代は、小さく「なんなんだ」と呟いたが、それに応えてくれる人間はどこにもいそうになかった。