やわやわと、ひかる

 夜の公園で七代を見つけた。なんとなく声を掛けたら、ついてきてしまった。何度追い払っても、しつこくついてくるので根負けした。暑さに同じやり取りをするのが嫌になったのだ。
 昼と違った蒸し殺されそうな暑さに、首筋の汗が背中に滑っていく。わずかに風が吹いているが、ぬるくてなんの涼しさも感じられない。
 公園から出て商店街までの道のりを並んで歩く。ぽつぽつと見える灯りにがぼやけて見えた。陽炎にも見えるが、眼鏡が曇ってそう見えるだけだろう。
「蝉の声ってさ、夜だと、りうりうりうりうって聞こえない?」
「なんだそれは、蝉ってのは、ミンミンだろう」
 肌に張り付くTシャツをはがしながら答える。陽が落ちても蝉は鳴き声を止めずうるさいままだ。外に出るとサラウンドに立体感が増して一層耳障りだ。何個目かの街灯の下を通ると、七代が笑った。
「ミギーがミンミンとか言うの、面白い」
 笑みをこらえながら、涼しげな顔でそう言う。言い返す気力も湧かず、黙って額の汗を拭って、歩いた。下を向くと、ほのかな灯りの輪に自分の影が映っている。一歩進むごとに湿った空気が頭を撫でた。足音まで湿って聞こえる。
「いい加減ミギーはやめろ」
 返事をしないのも悪い気がして、ついてくる七代を振り返って言った。きょとんとした顔に、自分がいらいらとするのがわかる。返事なんぞするんじゃなかった。黙って歩けばよかった。
「御霧?」
 ………………。止まった思考が回る。首をかしげて様子をうかがうようにつぶやいた七代を見る。たぶん俺は睨んでいるだろう。しかしこれは汗が目に入りそうだから睨んでいるように見えるだけだ。そう自分に言い聞かせる。
 俺の機嫌が気温より低くなったのを感じとった七代が、あわてだす。自分のことには気が回らない分、人のことはよく気がつくのだから当然だろう。それも少し腹が立つ。こいつになにがしかの感情を起こさせる自分が嫌だし、それにいちいち反応する自分がもっと嫌だった。
「えっ、あれっ、駄目?御霧?」
 歩くスピードを上げた俺の後ろをあわててついてくる七代の姿に、ざまあみろと若干の喜びが浮かぶ。口の端をわずかにあげてしまった自分に嫌悪感を抱く。
 困った顔の七代の気配を背後に感じながら、歩いていくと、街灯のほのかな灯りとは違う、白い鮮やかな灯りが見えた。スーパーの照明は暗闇から抜け出てきた自分には心地が良かった。しかし妙に不安を覚える。
「待ってよ、御霧」
 振り返った自分の真横に七代が駆けてきた。安堵する自分の頬に伝う汗を冷たい風が撫でて行った。

 スーパーの中は涼しい。食品を腐らせないためとはいえさっきまでいた場所は地獄だったんじゃないかとすら思う。買い物かごの中ににんじん、じゃがいも、たまねぎやらを放り込んでいく、七代はそれを見ながら時たまほーとかへーとか感心するようにつぶやいた。
「御霧、何作るの?」
「カレーだ、日持ちするからな」
「こないだもそれだったよね」
 気のない返事をした七代は飽きたのか、他の商品を見に行った。お菓子売り場に入っていく七代の後姿を見送って、自分の買い物に集中することにした。
「クソッ、肉が高いな……安いのは盗られたか」
 チラシでチェックした値段よりも高い肉を取りながら舌打ちする。すると七代が戻ってきて、「御霧、御霧、ラムネ買っていこうよ」と”暑い夜のお共にラムネはいかがでしょう?”という言葉とともに並べられているラムネコーナーを指差した。
 冗談じゃない、という視線を七代にくれてやって、肉をどうするか再考する。肉を入れないカレーはカレーじゃない。そう考えて、予算内で選んだ最低ラインの肉をかごに放る。
「御霧、ラムネ……」
「うるさい。余計なものを買う気はない」
「ラムネは余計じゃないよ!必要不可欠だよ!」
「……うるさい!しつこいんだよ!」
 声を荒げてそう言うと、近くを通ったサラリーマンが信じられないような顔で俺を見る。舌打ちをして睨むと、そそくさと去っていった。買い物かごを持ち直して、七代にラムネを置いてこいと言おうと口を開く。
「……七代?」
 七代の姿は消えていた。ぐるりと見回しても、同年代の若者の姿は見えない。きっとラムネを置いて行ってるのだろう。そう考えることにして、俺はレジに向かった。レジへ向かう途中でもラムネを見かけたが、買わなかった。

 買い物を終えて外に出ると、生暖かい風が体をまとっていた冷気をはがした。また家に帰るまでが長そうだ。と息を吐きかけて、スーパーの柱にもたれかかる人物に目が行く。
「御霧、買い物終わった?」
「お前、どこ行ってたんだ」
 にこにこと笑う七代に説教でもかましてやろうと近づくと、七代は何かを俺の目の前に近づけた。近すぎて眼鏡にぶつかった。
「近い。なんだこれは」
 手のひらでどけると冷たい。ずれた眼鏡を直しながら見ると、ラムネだった。すでに封は切られていて、シュワシュワと飲み口からかすかな炭酸のはじける音が聞こえてくる。
「……盗ってきたのか」
 あっはっは、と声を上げて笑う七代はもう片方の手に持ったラムネを取り出して、飲んだ。
「ちゃんと買ったんだよ」
「ほう、幽霊でも買い物できるんだな」
「幽霊じゃないって、何度も言ってるのに」
 七代は唇をとがらせて言う。七代の姿は半透明で、スーパーの店員から見たらラムネが宙に浮いたように見えるだろうな、とぼんやり考える。これのどこが幽霊じゃないっていうんだ。
「死んだけど、死んでない。生きてるけど、生きてない。それだけのこと。ちょっと本気出したら、ラムネ持ってレジ通るくらいなんでもないさ」
「じゃあ最初から自分で買え」
「ラムネは自分で買うものじゃないよ。御霧」
「馬鹿か」
 夜に出会うたびに、この説明を聞いているが、まったくわからない。
「いい加減、成仏しろよ」
 もらったラムネを飲みながらそう言うと、七代は失礼だなあ、と呟いてラムネを飲んだ。幽霊もラムネを飲めるのかと聞いたら、また怒るだろうから言わなかった。
「カレー、また食べに行ってもいい?」
「お前、地縛霊になるつもりだろ」
「ならないよ。ねえ、いいだろ?御霧のカレー食べたいよ」
「勝手にしろ」
 やったあ、とはしゃぐ七代を見ながら、カレーの材料は足りるのかと考える。それから、七代はまだ当分いなくならないことに、気づいて少し、ほんの少しうれしいと思った自分がいる。
 無性に悔しくなって、目の前を歩く足を蹴ろうとしたが、空を切っただけだった。
 

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