恋慕

※一部本編と違います。


軽いものを選んだつもりだった。彼の武芸の腕はあの夜十分見せつけられたし、常に傍で仕えていた彼の気配から、それは読み取れた。だからなるべく速く、確実に懐に入りこみ仕留めるつもりで選んだ、つもりだった。
私の手の中の短剣は、重く、熱い。短剣を握る自分の手の熱さなのか、彼の体温なのか判然としない。私の呼吸は荒く、しかし胸の奥は嫌に凍りついている。何よりも彼への想いでしでかしたことなのに。

彼の体はずるずると崩れ落ち、日陰の湿った土の上へ落ちた。大きな体は、ひっそりと私から離れた。いつも私のそばにいたローニカが、私から離れてしまったのだ。私はローニカを抱きしめようと体を動かした。動かしたかった。体はまるで土から伸びた腕につかまったように動かない。鼻腔をくすぐる土の匂いに、ローニカの清潔そうな、しかし柔らかな香りが混じっていることに気づいた。

恐れているのだ、私は。がくりと膝が落ちて、土の上に転ぶ。何も傷ついていないのに私の体は震え、戦慄いた。ローニカを殺めた。それだけがこの恐怖の正体だ。ローニカ、ローニカ、抱きしめてほしい。私は体をずりずりと這いずり、ローニカの肉体の元へ動いた。

もしかしたら二人で草原に寝転んだように見えるかもしれない。ここが冷たい土の上ではなかったら。私は身を起こして、横たわるローニカを見る。短剣はローニカの腹に刺さり、体の下には赤い円がゆっくりと広がっている。私はてのひらを見た。這いずったせいで茶色く汚れている。私の手には、彼の血の一滴すらついていない。ローニカの血は、私には付かなかったのだ。ローニカは最後まで、私を拒んだのだ。土はローニカの血液を養分にするのだろうか。

汚れた手のひらを、ローニカの投げ出された厚い手に当てた。太く節くれだった指先は、土の上に横たわっている。私は目の前がぼやけた。心臓が熱い。さっきまでの冷たさが嘘のように、熱い。じわじわと心臓は溶け出し、私から彼への想いを奪っていった。ローニカの堅い指を握り、私は呼吸をした。

とても安らかな顔で、ローニカは死んでいる。眠っているようにも見えるが、死んでいるのだ。
私が、殺したのだ。


20100209

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