広間の午後

午後、ちょうど人が途切れる頃合いだろうと赴いた広間でタナッセは凍りついた。椅子に座り茶を飲んでいるユリリエ――名前すら思い浮かべたくない。 どうやら人を待っているようだ。思い当たる人物はひとりしかおらず、それがまたタナッセの会いたくない人間であったので、タナッセは踵を返し、広間から立ち去ろうとした。
「おや」
遅かった。タナッセは苦みばしった表情を一瞬し、次の瞬間には平常心を作り上げた。
首もとの紐をいじりながら、レハトは緩慢な足取りでタナッセに近づいてきた。成人して男性を選んだレハトは、王位をヴァイルに譲り、接待役として城に残っている。だが今は大した仕事はしていないらしく、城のあちこちをうろつきながら日々すごしている。それはタナッセも 同じで、たまに遭遇する。そのときタナッセはあらゆる弁舌でもって嫌味を言うが、レハトはのらりくらりと交わし、去っていく。お互い顔を合わせればこういう手合いなので、レハトもわざわざ話し掛けてくることはないだろうとそのままレハトの横を通りすぎようとした。
「ユリリエ、タナッセがいるよ」
「なっ」
レハトはユリリエに向かってそう叫ぶ。するとユリリエはやれやれという風に扇を閉じてやってきた。自然、タナッセは後ずさる。
「レハト様、折角視界に入れないでいたのに」
「そうなの?、ごめん」
間に挟まれるようにタナッセの体はキュッとなる。いやこれは風が強いせいだなどと言い訳しているが広間は無風である。
「レハト様を待っていたら、彼がのこのこやってきて、私の姿に怯えていらしたの」
「へー、なんで怯えたの」
「あらあら、どうしてでしょう」
ぱくぱくと口を開閉するタナッセに、ユリリエは扇で口元を押さえながら笑みを見せた。
「あ、言わせないようにした」
「まあレハト様ったら」
タナッセは今すぐどこかに行きたかった。ユリリエはもちろん傍にいるだけで幼い頃に受けた記憶――大抵は何をされたのか覚えていないが、凄まじい恐怖は覚えている――が呼び起こされる。しかし、タナッセはレハトにも同様の感情を抱いていた。一体それが何なのかタナッセには思考する余裕はなかったが、とにかくここから離れたかった。
「わ、悪いが私は行く」
切れ切れに発した言葉にユリリエとレハトは目を一瞬丸くし、
「聞きまして?レハト様」
「聞きましたとも、ユリリエ様」
揃って口角をあげ、タナッセを見た。私はなぜだか二人が兄弟のようだなどと呑気に悟り、自らの身に降りかかるであろう災難が、二倍、いや四倍に増えたことに戦慄した。
その瞬間タナッセは俊敏に踵を返そうと身を翻した。しかし、ぐい、と体が引っ張られる感覚に強張る。
「ごめんなさいタナッセ様」
「まあ、レハト様、行儀の悪い」
棒読みのレハトをたしなめる喜色を浮かべたユリリエの声に、タナッセはおそるおそる下方を見る。
レハトの手がタナッセの肩布を掴んでいた。
「貴様、はな」
せ、と言おうと口を開いた瞬間レハトは肩布を離した。
「申し訳ございません、タナッセ様。城に来てから日が浅く、身に染み付いた田舎者の作法がいまだ抜け切れていないようです」
「い、や」
うやうやしく詫びてくるレハトにタナッセは言葉を濁しながら、体勢を整える。
「わ、分かればいいのだ。いつもそういう殊勝な態度で励めばいいだろうに。まあいい、私はそろそろ行かねばなら」
「お詫びをさせてくださいタナッセ様」
タナッセの手を掴みそう告げたレハトは、そのままタナッセの肩を掴み歩かせた。
「何だと」
「それはとても良い考えですわね」
ユリリエがくすくすと笑いながらタナッセの腕に自らの腕を組みレハトと揃って歩き出す。
「タナッセ様の礼節についての考えとか詩についての解釈なんかも聞きたいなあ」
「レハト様、先日図書室に入った新作なんていかがかしら」
「ぜひとも聞きたいねユリリエ」
両側を魔物に掴まれた心待ちのタナッセは、二人の笑みに、やはりよく似ているなどと考えるしかなかった。


20100202

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