ゆがんだ多角形の心臓

お前どうせろくなもん食ってないんだろ、とは僕に食堂の食券を押し付けてきた堂島さんの弁である。確かに真由美の死体を見てから、野菜以外を食べられなくなった。間接的とはいえ真由美を死に至らしめたのは僕だ。だからなのかなんなのか、野菜以外のものを見ると胸がぐるぐるして気持ち悪くなる。それでも最近は魚は食べられるようになったから、生活に支障はなくなった。元々肉はあまり好きじゃない。

食堂のおばちゃんに食券を渡すと、鮭定食入りましたーと明るく厨房に言って、僕にすぐできるからね。と明るく笑った。僕はそれに適当に返事をして魚で良かったと安堵しながら、ちらりと食堂に目を向けた。食堂はそれなりにきれいでそれなりに人がいた。署内の男の大半がうらぶれた中年ばかりだから、食堂にもおっさんしかいないのかとげんなりしていたけれど、ちらほらと婦警もいることにすこしばかり驚く。 会議室のテーブルに無理矢理テーブルクロスをかけたようなテーブルが規則的に並べられている中でたまにくすくすと押し殺したような笑い声が小さな食堂に響くのを聞きながら鮭定食が出てくるのを待った。

大きな窓に隣接しているテーブルに鮭定食を置いて、パイプイスに座る。先客がいるけれど、まあいい。窓の外ではやわらかそうな雨が降っていて、今の気分にはちょうどいい。少しだけ心が穏やかになって、割り箸を割った。

「そういえば、知ってる?本庁からきた鑑識のさん」
「今日から配属の?」
「なんかあの子も左遷されたらしいよ」

鮭の切り身が半分になった頃、隣に人がいるのに気がついた。珍しいことにずいぶん食べることに熱中していたみたいだ。横目で見ると、噂話大好きといった雰囲気がありありと出ている婦警が二人。本庁という言葉に反応して味噌汁を啜りながら聞き耳を立てた。

「なにやらかしたの?」
「なんかぁ、上司のあげた証拠にケチつけたんだって」「うわ」
「でもその証拠ほんとに間違っててあわや不祥事ってとこだったんだけど、メンツを潰された上司がその才能をここで発揮したまえーって感じで送られたんだって」
「ここで何を発揮すんのよ」「あははは」

ほんとにな。こんなところに送られるなんてよっぽどボロクソに上司を叩きのめしたんだろう。確かにあの鑑識のジジイは部下の仕事で天狗になるのが上手い奴だった。 馬鹿しかいないところだったけれど、結果はどうあれなかなか面白いことするやつもいるもんだ。 そいつを見つけたらご苦労様、おまえも今日から俺の仲間だな、なんて肩を叩いてやりたい気分だ。僕が左遷された理由はもうすこし違うけれど。

「あっ」
「?どした、の」

急に馬鹿よねえ、と笑っていた僕の横の婦警が凍りついた。それを不審に思ったもう一人の婦警が彼女の視線を追ってまた凍りつく。僕もちらりとその視線を追って、合点がいった。 。首から下げられた丸文字だけど大きく書かれている名札にはそう書いてあった。味噌汁の椀をプレートにおきながら、彼女は婦警たちを一瞥した。

「ご忠告、ありがとうございます。」

にこりともせずに刺すような声音で言い放つ彼女から、いかなきゃとかそうねとか慌てた様子で婦警達は足早にテーブルから去っていく。 茶碗を持ってご飯を口に放り込む彼女は別段気にしている様子もない。逆にそれが僕の癪に障った。けれど今はこの穏やかな気持ちを壊したくない。いつもどおりにしよう。

「災難だねえ、さん。でもここにはここの良さがあるからさ。住めば都ってやつ?」

都落ちした奴が何言ってんだ。良さなんかなんにもねえよ。ただ広いだけの退屈な場所じゃねえか。 そう心の中で毒づいてにこにこと阿呆みたいな笑顔で彼女に励ますようにそういうと彼女はさっきみたいな一瞥を僕にくれて桜色の唇を開いた。

「馬鹿の真似が上手いんですね」
「はぁ?」

このクソ女、と一瞬思ってしまった。彼女は能面みたいな顔をしたまま僕を見つめている。

「・・・どういう意味?」
「本庁で何度かお会いしましたが、そんな間の抜けた話し方はしていなかったはずです。」
「・・・」
「他人を馬鹿にするようなその目線は、相変わらずのようですね」

さくさくと切れ味のいい包丁で刺されるような不快感が背中に走る。こんなやつ鑑識で会った事あったっけ?大体本庁の鑑識課は根暗な奴ほど奥の方に丸まってて滅多に会わなかった。こんな社会不適合者、なるほど左遷されるはずだ。

「君って性格悪いって言われてたでしょ」
「足立先輩ほどではありませんよ」
「ふうん」
「あいつは時々俺たちを無能だって目で罵ってやがる、と件の上司が言ってました」

たちじゃなく、お前だけを無能だって罵ってたんだよ。そんなことも気づかなかったのか。 はなにがおかしいのか笑みを浮かべている。このまま首根っこ引っ掴んでテレビにぶち込んでやろうか。穏やかだった心はすっかりささくれだっていて、さっきから皿の上に横たわったままの鮭がずいぶんと冷たく見えた。

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