カードを引く手を止めることは許されない

菜々子がいない、叔父さんがいない、誰もいない。からっぽのこの家は帰ってくるにはひどく冷たいけれど、帰らないと無性に寂しくなって泣き出したくなる。体が帰りたいと悲鳴を上げて俺の中の子どもがわめく、なんでみんないなくなるの?
頬に当たるソファの弾力でさえ、今の俺には悲しみの塊でしかない。ここには、叔父さんが座っていた。菜々子がいつも座る場所に目を向けてもそこに菜々子はいなくて冷え冷えとした空間が俺の喉を絞めつける。 床に投げ捨ててある携帯にはさっきから受信を知らせるランプが照り続けている。

不意にインターホンがなって、俺は眉をしかめた。緩慢な動作で寝転がっていたソファから起きて玄関へ向かう。 陽介たちかもしれない、ああ、うざったいな。放っておいてくれないかな。そう思って頭を振りかぶる。 優しくされてもどこかで本当はそんなこと思ってないくせになんて、考えてしまう自分の悪い癖だ。

「やあ、元気?」
戸を開けると足立さんがにこにこ笑いながら入ってきた、どうぞなんて一言も言ってないのに 部屋の中へどんどん入っていく足立さんのぼんやりとした後姿を追いかけるように自分も向かう。 この人はたまにどこか有無を言わせない威圧感を感じさせるから不愉快だ。
こたつの上にビニール袋を置きながら座る足立さんを少しだけにらみながら聞く。
「何しにきたんですか」
ちょっと言い方がきつかったと言った後に後悔しながら飲み物を出す振りをして冷蔵庫へ背を向ける
「ちゃんとご飯食べてるかなーと思ってね。ジュネスの惣菜だけど買ってきたんだ。」
ね、といいながらビニール袋を指差すのを見ながらコップと麦茶を持っていく
「叔父さんに頼まれたんですか?」
コップに麦茶を注ぎながらそういうと足立さんはからからと笑った
「違う違う、堂島さんがあまりにも全部君に丸投げしてるからさー」
「・・・それは仕方ないんじゃないですか」
菜々子が、と言いかけて自分も他人事のように思ってるような言い方になりそうだったから、やめた。ペットボトルについた水滴を拭いながら目を伏せる。
「ごーめんごめん、ちょっと言い方悪かったね。でもほんと、なんか食べた方がいいよ」
ビニール袋から弁当を出して俺の方に滑らせる、鮭弁だ。そういえば叔父さんはあまり鮭弁を買ってこなかった。
突然の来訪には驚いたけど友人達とは違う距離感に少しだけ心が安堵する。 叔父さんの部下ってだけで挨拶することはあったけれど、足立さんとは特別親しかったわけじゃない。逆にそれが、今の俺には安心感を与えるのかもしれない。 ぼんやりとそんなことを考えていると少しだけあせった顔をして足立さんが言った。
「あー鮭弁嫌い?親子丼にする?」「いえ、平気です」
久しぶりに笑った。


弁当を食べ終わって当たり障りのない話をしていると空っぽのグラスを傾けながら足立さんが言った
「こんなこと聞くのはどーかなーって思うんだけどさ」「はあ」
「ぶっちゃけ犯人のことどう思う?」犯人?生田目のことだろうか
「あんま、よくわかんないです」
皆が鬼気迫ってあの天国みたいなところで絶対助け出そう、と言った時だって
力を貸して欲しい、なんてお決まりの台詞を言うだけだった。心の中ではお前ら本当にそう思ってるのかよなんて、酷いことも考えた。 雪子たちを助けた時だって、言っちゃ悪いがほとんど成り行きのようなものだった。
「えーそうなの?普通許せない!とか言っちゃうもんじゃない?」
「許すとか許さないとか、どーでもよくなってきちゃって」
「へえ」
「菜々子が大事で、菜々子が無事なら、それでいいです」
喉に石が詰まったような声が出る、恥ずかしくなって足立さんを視界からはずす。叔父さんのネクタイと同じ色の、けれどいつも曲がっている足立さんのネクタイが視界に入る。顔は見ない。
「そっか」「そうです」搾り出すように返事をして、沈黙が降りてくる。

「ほんとよく似てるよ、君達」足立さんが笑みを含んだ声でそう呟く
「は、」「君と、堂島さん。おんなじこと言ってるんだもの、血は争えないってやつ?」
叔父さんと似てるなんて、少し嬉しい、なんて場違いなことを思って照れくさくなって
「麦茶おかわりいりますか」などといってしまった。
足立さんはお願いしようかな、とおどけて言ってコップを差し出した。
麦茶を注いでいると、足立さんが少しだけ真面目な声でなにかを言った。
俺は麦茶を注ぐのに集中してて、ちゃんと聞かずに「そうですね」と返事をした。
その言葉に脳みそが反応したのかただ手が震えたのか、麦茶はすこしだけこぼれてしまった。

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