盲目の愛した少女

一連の殺人事件は、犯人である生田目がいなくなったことで急速に勢いを失っていった。ニュースも飽き始めているようで特に騒いでもいない。生田目が失踪した理由はわからないけれど、沈痛な面持ちで生田目の病室からでてきたあの子達の姿で、容易に想像はついた―――テレビに落としたと。 霧が晴れないから死体があがらないのか、それは想像の範疇を出ないから一般的には生田目は病院から逃走、現在も行方知れず。署内も刑事である堂島さんの負傷によって一時は犯人を見つける事に躍起になっていたけど、変わらず進展を見せない捜査に上からの圧力で容赦なく中止になった。異常な霧の対処に追われてそれどころではないとというのも理由の一つだろう。対処の仕様がないものを対処しろっていうのも、おかしい話だけど。

僕のひざにちょこんと座っている少女に微笑むと、少女も同じように微笑んだ。部屋の中に充満している霧で見えないけれど、きっと微笑んでいるだろう。それからすぐに少女の視線は手元のパックジュースに映って、薄桃の唇がストローを吸う。子ども特有の短い足をぱたぱたとさせる。容易にその姿を想像しながら自分の心に言いようのない幸福感を感じてしまう。署で発狂寸前の苦情電話の対応をほっぽりだしても構わないくらい。丁寧に櫛を入れられているだろう滑るような髪に指を絡ませながら僕は聞いた。

「今日は何して遊ぼうか」
「うんとねえ、まだ決めてないの」
「そっかあ、じゃあ僕が決めても良い?」
「いいよ!とーるくんに任せるね」

舌足らずな言い方で呼ばれる自分の名前にひどく心が躍る、疑うことを知らない純真な少女を汚せるだけ汚したい気持ちも湧いて、それと同等に限りなく愛しいと思ってしまうあたり、僕はもう人としておかしいのかもしれない。 少女の両親は夜にならないと帰ってこない、どこの機関も霧の対処でてんてこ舞いらしい。隣の部屋の害のなさそうな男が愛娘と遊んでくれているから多少は融通が利くと思っているのだろう。人を疑うことを知らない、この子の親らしい話だ。

「じゃあ、テレビの前に立って?」
「うん!」

従順に少女は僕のひざから降りてテレビの前に歩いていく。その後姿を霧が霞ませてしまうのを憎らしく思いながら見つめる。狭い部屋には似合わない少しだけ大きめのテレビは、僕が左遷される前に向こうで使っていた奴だ。少女を落とすだけなら、充分すぎるほどの大きさ、持ってきてよかった。

「なにするの?」
「かくれんぼ、かな」

部屋の中に充満した霧は、これからもっともっと濃くなるだろう。
実は霧はテレビから流れでている。そして霧に人々はおかしくなる、混乱するメディア、それを鵜呑みにする民衆、壊れていく町、人、町だったもの、人だったもの。どこまでも深い霧のような黒い塊になって自我を失って生きることを救いと受け止め、霧に食われて黒くなる。秩序もなにもその世界にはない。 まあ、全部は僕が見た夢だけど、不思議と正夢のようにも思える。

「わたしかくれんぼとくいだよ」
「本当?それじゃあ僕が負けちゃうのかなあ」

おどけたように言いながら気取られないようにゆっくりと立ち上がって足を一歩踏み出す。 正夢であろうとなかろうと確実に世界は死んでいってる、死んでいく世界を見続けるのは君には重いから、見せてあげない。子どもには、まだ早い。

足を勢いよく踏み出して霧を掻き分けた。鮮明に広がる君の姿を捉えて、気配を感じてこちらを向いた少女は笑んだような、怖がっているような顔をしていた。その体をやさしく、けれど確実にテレビに落とすように強く押した。テレビは少女の体をたやすく飲み込んで、食いカスみたいに彼女の手から離れたパックジュースが床に消えた。

咀嚼するように画面は波立つ、霧が幕切れとばかりにそれを隠して僕はがくりとひざを落とした。

(ま、っ、て、る、ね)

落とす寸前微笑んだまま彼女の唇が小さく口ずさんだ言葉。待ってるね。待ってるね、ってどういうこと?あの子は全部知っていたの?僕にテレビに落とされることを?そんなことあるはずがない、だってあの子は子どもで、僕は大人で、子どもは大人の考えてることは知っているはずがないんじゃないの?

ねえ僕は君を守りたかっただけなんだ。僕が嫌いな世の中が僕の好きな君を壊すのを見るのが嫌だったんだ。ああそうだよただのエゴだよ。君がぐちゃぐちゃになって僕に助けを求める姿を見るよりも僕が君を救う事の方が大事に思えたんだよ。それでも君が変わらず微笑んでいてくれるなら名前を呼んでくれるなら、僕はそれを受け入れればよかったのかな。

嗚咽しながらテレビにすがるように触れると優しく受け入れるように僕の手は飲み込まれた。テレビの向こうで少女が優しく僕の手を撫でているような錯覚を覚えて、僕はあの子の言っていた言葉を思い浮かべた。ああ、そっか。彼女は向こうで待っててくれているんだ。僕を。そう考えるとさっきまでのむなしさが嘘のように幸福で塗り固められて惜しむようにテレビの中へ手を押し込んでいく、次に肩、頭、何も見えない、意を決して飛び込むと空間が僕の息を詰まらせた気がしたけど無視する。いまいくからね、と少女に聞こえるようにいったつもりだけど聞こえたかな。いま、いくからね。

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