やさしいあなた、貴方は誰も救えやしない。

はっちゃんの血は赤いと思うんだ。そう言ったらはっちゃんは当たり前だよと言って僕のオムライスから一口スプーンですくって食べた。ケチャップが口の端についていて、僕がついてるよと言おうとしたら横から手が伸びてきて皆守くんがはっちゃんの顔をマミーズのロゴの入った布巾でぬぐっていた。皆守君はいかにもめんどくさそうにして、はっちゃんはありがとうといいながら皆守君に身を任せている。 僕はそういう時なぜか壁を感じてしまう。三人でいるのに、三人でいないような。

白い部屋の真ん中に、大きなピアノがある。僕は鍵盤の前に立っていて、白い鍵盤をゆっくりと押す。鍵盤からは、じわりと赤いものが染み出てきて、僕はピアノの中にはっちゃんを隠していたことを思い出す。赤いものはぷくぷくと床に落ちて、一緒に僕の指先も赤くする。けれど僕はそのままピアノを弾く。音がゆがんでいるけどかまわない。君のためにピアノを弾くよ。なんの曲だっていい、はっちゃんにはどんな曲でも似合うから。白い床に広がった赤いものは、そのままどこかへ流れていく、川のように流れていってしまう。

まぶしくて目を開けるとはっちゃんがいた。僕の頭は昼下がりのまどろみと変わらず治らない頭痛がゆっくりと体をめぐっているのを感じていて、まばたきをしてやっと、はっちゃんが僕と同じ布団の中にいることに気がついた。僕は恥ずかしくて飛び起きてしまいそうになったけど、はっちゃんはきっと昨日も遺跡にいって、あんまり寝ていないのだと思うから、身じろぎするのをやめた。じっとしていると、はっちゃんが目を覚ましていないことに気がつく。はっちゃんは音楽室で居眠りをしていても、僕が近づくと目を覚ます。それは警戒心からくるもので、それははっちゃんの仕事には必ず必要なものだから、仕方がないと思う。

(・・・はっちゃん)

はっちゃんはよくさびしそうな顔をする。手に入らないものを見ている子供のようでいて、どこか大人びていて、遠くを見つめている。僕はそのたびに、少しだけ優越感を覚える。はっちゃんは僕を救ってくれて、僕以外の人もたくさん救っているけど、誰もはっちゃん自身を救ってあげることはできないんだ。僕はそれに満足する。なぜならはっちゃんはそういうとき、自分が救ってあげた人によりかかるから、僕に、少しだけもたれかかって、何かを紛らわすから。これはきっと皆守くんにはできない。皆守くんは根っこのところではっちゃんを拒絶していて、僕はそれを見て見ぬふりをする。

(僕の血も赤いのかな)

黒い砂がまだ、自分の血管の中を流れているような気がした。僕ははっちゃんの土と埃の匂いのする髪の毛の中に顔をうずめたくなる。はっちゃんは静かな寝息を立てていて、僕ははっちゃんのすぐそばにいる。はっちゃんの首筋に、鍵盤を叩くように爪を押し当てたくなる。そこから流れる血は、赤いのか、川のように流れるのか、僕は少しだけ気になって、はっちゃんに少しだけ身を寄せる。はっちゃんは目を覚まさない。それにすこしほっとして、僕はまぶたを閉じた。

20100201

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