のっぺらぼうの目

 芒が風に揺れる秋の頃、鴉羽神社は閑散としていた。とはいえこの神社が賑わう時はあまりない。やる気のない神主が境内を掃除するか、その娘が狛犬を磨く姿くらいが関の山である。そしてその姿も、最近はとんと見ない。
 咥えていた煙管を離し赤い空へ煙を吐いた鍵は、無音に近い境内にたたずんでいた。
 
「鍵さん鍵さん」
 手鞠を持った鈴が駆けてくる。青白い顔をしているが走ってきたせいでその頬は上気していた。参拝客も管理する人間もいない神社では、神使の気力も失われつつあるのか、鈴も前のように動き回ることができない。
 普段は狛犬像に入って、力が減らないように温存するしかない鈴だが、今日みたいな日は何があっても無駄だ。
「ぬし様と遊んできてもいいですか?向こうの方で遊んできてもいいですか?」
 向こうの方、と鳥居の先を指差した鈴に鍵は了承するしかない。
「ええ、いいですよ。あまり遠くに行っちゃあいけやせんよ」
 そう言ってやれば、にこにこと手鞠を持ったまま駆けていく。わずかに残った結界の内にいることが、残された神使の居場所ではある。だが、”ぬし様”が鈴の目に映っている限り、説き伏せることはできなかった。
 たん、とん、と鞠をつく音が聞こえ、鈴の明るい声が紫煙の向こうから響いてくる。突きつけてやりたい現実を飲み込むように鍵は再び煙管を咥えた。
 いつから鈴はああなっただろうか、と鍵は幾度目か知れない考えを始めた。坊が呪言花札を封印のために命を落とした冬…春には鈴の目に”ぬし様”は映っていた。「鍵さんぬし様にごあいさつしないとだめですよ」と言われたのが最初だった。
 鍵がなにを言っても無駄で、無理に止めれば取り乱して手も付けられなくなる。神使の務めなどとうに手につかず、”ぬし様”が現れるとき以外は眠っている。
 そんな片割れを鍵は哀れに思いこそすれ、救おうとは思わなかった。
 鴉羽神社はいずれ神社としての役割を失う。神使の力が欠け、神主の姿も見えず、信仰もなくなっている。今は鍵の力と、神気が神社を保っているが、長くは続かない。後から鴉羽神社に住み着いた鍵と違い、鈴はこの神社で生まれた。それ故に、人間で言う死を迎えるとき、鈴の苦しみははかりしれないものになる。
 まやかしでも、鈴の心を晴れやかにさせるのなら、なにも壊すことはない。鍵はそう思っていた。
「そうでしょ、坊」
 狛犬と狐の像の間に立ちすくんでいる人影に煙管の煙を吐きかけた。思考に同意がもらえるわけではない、なんとなく声を掛けてみた。
 案の定、人影――七代千馗の形をしているものはなんの反応も示さなかった。くつくつと喉を鳴らしながら、鍵は七代を眺めた。
 鍵のいる狐像と狛犬像の間に、七代は立っている。折り目正しい制服のラインが、執行者として命を散らした所以を感じさせた。もっとも、それが本当の七代千馗の性格であったのか、もはや鍵にはわからない。知り続けていきたいと願ったとたん、消えてしまったのだから。
 
 鈴が”ぬし様”をみるようになってすこし経った頃、この後ろ姿は現れた。結界の強化のために狐像から離れられなくなった鍵がもどかしく思うほどに、七代はみじんも動かず、ただ前を向いていた。
 決まって鈴が”ぬし様”を見ているときに現れるから、鍵はこの七代が”ぬし様”とは違うと思っている。これはきっと死んだ七代が、何らかの理由で鍵の目に映っているのだと思った。見ることしかできず、絶望に打ちひしがれたときもあったが、こうして七代の姿を捉えることができるのは鍵の目だけだった。
 だがそれも、と鍵は煙管を噛みながら思った。もたれていた狐像から体を離し、鍵は歩を進める。
 すると、鴉羽神社を取り巻いていた神気に亀裂が入った。壁がもろく崩れるように、鍵が歩くごとに神気は壊れていった。そのかわり七代の背は近づいた。どこかで鞠の音が聞こえ、泣き声が聞こえたような気がしたが、鍵は歩みを止めなかった。
 
 坊、と呼んで鍵は七代に声をかけた。二人の距離は、鍵が手を伸ばせば触れられる距離まで近づいていた。煙管の煙が揺れて風に流れていくのを肌に感じながら、その背中に向かって言葉を紡いだ。
「鈴は、ああなってしまった。清司郎様も、お嬢も、坊のご学友にも、もう坊は見えないでしょう」
 見えなくて当然だ、と鍵は心の内で続けた。一切が消え、暗闇に放り出されることを望んだ七代に、周囲の人間は憤った。鍵は彼ら人間の身勝手な姿に怒りを覚えた。理解していると思っていた人間に裏切られたと考える、人間の浅はかさがばからしかった。
「坊も、もう何も見なくてもいい」
 ≪秘法眼≫がどれだけ重荷になったのか鍵にはわからない。生来生まれ持つ人と異なる力が、七代の人生に一点の曇りも与えなかったとは思えない。呪言花札の封印に執行者の命が必要不可欠だと知った時の、七代の安堵がそれを物語っていたように思える。異質は疎まれるがゆえに、居場所を強く求めるものだ。鍵も覚えがある感情だった。
 だが、七代の求める居場所は、温かく眩しいものではない。
「それがあなたの望みでしょう」
 何も見ず、何にも見られず、暗い所で目を閉じてうずくまっている七代の姿を思い浮かべて、鍵は身震いをした。いったい何がいいのか、理解できなかった。だれも踏み込めなかった七代の、暗い隙間を見たような錯覚を覚えた。  煙管が石畳に落ちるのにも構わないで、鍵は七代の肩に手を伸ばした。誰の目にも映らずとも、私の目には映っている。肩を引っ張って、目を覗きこみ言ってやりたかった。
 しかし、手は肩を通り抜けた。
 舞い落ちる枯葉を掴もうとして失敗したように空ぶった。鍵の目が驚きに見開き、呆然としているのに対し、七代はただ、前を向いている。やや長めの前髪のせいで、何を見ているのかはわからない。
 
 むなしさが鍵の胸に広がり、すぐにたとえようのない可笑しさに気付いた。ふ、ふ、と口端から漏れる笑みを片手で押さえながら、空を掴んだ手を下した。自分がひどく滑稽な生き物のように思えてきて、今度は声をあげて笑った。鈴の弱さをどこかで馬鹿にしていた自分を、なにかに見破られたようだった。
 笑い疲れてよろよろと後ずさる鍵の足元で煙管がばきりと割れた。鍵はそれに気付かず、泣きそうな顔をして、目の前にいる七代の背中を見ている。振り向いて、その目に自分を映してほしかった。
「坊、私を見てください」
 すがるような声に、七代は反応しない。
 息を吐いた鍵は、踵を返して狐像に戻った。鈴の帰りが遅いな、とそれだけ思った。
 

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