生徒会室で君と

おかわりを求めた手はすげなく払われた。遠ざかるペットボトルに愛する恋人に泣きすがるごとく「あああ」と唸れば、洞で隠人の急所を百発百中の飛坂さんの眼鏡がキラリと光る。
「ごめんなさいシャーペン下ろしてください」
 先端恐怖症じゃなくても飛び上がりたくなる。ため息をひとつ吐いた飛坂さんはシャーペンを下ろして書類をめくった。
「違反者がおかわりを求めるなんて図々しいわよ」
「おいしい麦茶を生徒会室に隠してる会長に言われたくないなー」
 わずかに残ったコップの中の麦茶をちびりと飲む。飛坂さんは書類をぺらぺらとめくり、修正個所をペンで書きこんでいる。
「馬鹿ね。隠してるんじゃなくて、生徒会の特権よ。といっても、たまにしかやらないけどね」
 七代君がツイてただけよ、と続けた飛坂さんは、こちらに用紙を滑らせる。
「ここに名前書いてね、遅刻者さん」
「はいはーい。……っと」
 渡されたペンを使ってさらさらと自分の名前を書く。遅刻してごめんなさいもうしませんの誓約書ができた。恭しく用紙をひっくり返し、飛坂さんに差し出す。飛坂さんはそれに生徒会特別印のようなものをペタリと押して、ノートの間に挟んだ。
「それにしても、転校してひと月もたたないのに遅刻常習者ブラックリストに載るんだから大したものだわ」
「いえいえ、お褒めに預かり恐悦至極でっす」
 空になったコップに指を入れて遊びながら返事をすると、飛坂さんは「まったく」とため息交じりにつぶやいた。鴉乃杜高校の生徒会長さんはずいぶんと忙しそうなんですねと言おうとしたが、その原因の一端を担っているのは自分自身であり、さらに言えば同級生の壇燈冶でもあるのだ。余計なことを言って刺激するのは賢くない。
 とはいえ、壇を捕まえて《強制奉仕》させることで飛坂さんのストレスが発散されているのもまた事実なので、俺はそのうち壇を人身御供に差し出そうか考えて保留した。
「飛坂さん」
「なあに」
 帰ることもしないで思案にふける遅刻者を無視して、飛坂さんは明日の議題のことを考えているらしかった。気のない返事にコップをいじる手をやめて飛坂さんを見ると、目があう。
「俺は≪強制奉仕≫しなくていいの?」
「いいわよ。反省書はこれが初めてだしね。今回は、勘弁してあげる」
 ふん、と語尾につけそうな表情で飛坂さんは俺の目から視線をはずした。一瞬言うまいか悩んだ顔をして、開き直ったようにいたずらな笑みを浮かべた。
「あんまり疲れさせたら本業に身が入らないでしょ」
「あ?……はははは」
 本業とはつまり封札師のことか。とっさに思い浮かばなかった。たしかに俺は封札師だけど、ついこないだまでただの高校生だったんだよなあとしみじみとした気持ちになった。
 思わず前髪を払う。本当は自分の目を触ろうとしたのだが、こういう気持ちになったときに自分の目を触ってしまう癖を、よく知らない人に見せるのは気持ち悪いなと思ってやめたのだ。
「弥紀も連れてくんだから、いざという時に守ってもらわないと困るわよ」
「うん、それはもちろん」
 穂坂さんはちゃんとしたただの高校生だもの、ちゃんと守らないと。それはわかっている。それが力を持つものの責任だってことは理解している。別にいらなかったけど、こんな力。
 多少思うところはあったがしっかりとうなずいた。飛坂さんはややいぶかしげな表情を浮かべて俺の返事を待っていたが、俺がしっかりとうなずくと満足したようだ。
「そう。それならよかった。あたしも毎回ついていくわけじゃないし、心配してたの」
「そっか、まあ大丈夫だよ。穂坂さんも飛坂さんもちゃんと守るよ」
 一般人を巻き込んでしまっている以上、なにごともなかったようにとはいかないまでもやるべきことはやらなければならないだろう。これは封札師だからではなく、単純に七代千馗としての気持ちだ。女の子が傷つくのは見過ごせないし、友人がけがをするのは怖い。
「あ、あたしは別に守らなくてもいいわよ!自分のことくらい自分で守れるわよ」
 顔をわずかに赤くしながら飛坂さんはそう言った。なんだかそういう言い方すると、穂坂さんが自分のこと守れない人みたいだねと言おうかと思った。が、言わないことにした。新参者の俺が、親友同士の関係について口をはさむのはよくないと思った。
「そうだね。じゃあ、飛坂さんと穂坂さんを連れて歩くことがあったら穂坂さんを気に掛けるよ」
「うん、……そうしてちょうだい」
 俺なりにバランスのいい返答を返したつもりだ。飛坂さんの中の優先順位を俺も尊重しなくてはならないと思った。飛坂さんはきっとそれを望んでいるだろうということにした。
「まあ、いざとなったら二人まるごとかばって死ぬよ」
 飛坂さんを真似てすこしいたずらっぽくそう言うと、飛坂さんは目を丸くした後、不意を突かれたのがくやしいのか唇を尖らせた。俺の冗談めいた言葉に、彼女は自分を崩さないように最善の反応を返すはずだ。
「そうよ。死ぬなら人の役に立ってから死になさいよね」
 ほらね、と俺はにっこりと笑った。彼女はそれが俺のジョークを受け止めてくれてありがとう、という意味で受け取ったのか「ふふ」と笑った。
 そうやって笑うとかわいいね、飛坂さん。

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