静かなところにきみといたい

 七代はまどろんでいた。白は今日も出かけている。物珍しいものが多すぎて、午前だけではまわりきれないのだとか。「妾が戻るまで眠るでないぞ」とは言われたが、どうやら守れそうになかった。
 危険な状況かもしれないのに、七代はぼんやりと音を聞いていた。窓の外から聞こえる。風の音か、木々や葉のすれ合う音か、わからないが、妙に耳になじむ、やさしい音が、七代の耳を甘やかしていた。髪の毛を撫でられるような音にうとうとが増幅されていく。
 ふあ、とあくびをして、七代は体が重たくなるのを感じた。
 眠い。体がぐいぐいと引っ張られるような感覚に、七代は白の顔を思い浮かべたが、睡魔はそれをかき消す。
 とろとろと体中を満たすものに、七代はまぶたを閉じた。

 雉明は七代が眠りに落ちるのを確認して、七代の部屋の窓を開けた。神社の神使たちが雉明の存在に気づかないわけがないとは思うが、雉明はあまり気にしなかった。
 薄暗い室内は、小さな電球に淡く照らされていた。白が帰ってきたとき、転ばないようにとの配慮だろう。雉明は七代の優しさに、口元に笑みを浮かべた。
 枕元に歩み寄っても、七代は起きない。雉明はできるだけ静かに腰を下ろした。そして、眠っている七代の顔を見る。
 すうすうと寝息を立てている七代をみて、雉明はほっとした。七代の安らかな寝顔を見て安心した気持ちと、雉明自身の安息を感じる。

 夜になっても明るく、賑やかな街並み、人々は足早に帰路へ急ぐ。雉明には、そんな場所がない。だから、つい七代の所へ来てしまう。七代のところが、雉明の帰る場所だった。
 最初は、神社の前だった。七代の部屋の明かりがついているのを見れば、安心すると思った。
 だが、来るたびに、七代はどうしているのだろう。笑っているのだろうか、ならおれも話をしたい。悲しんでいるのだろうか、ならおれが共にいたい。
 考えているうちに、とうとう、七代の部屋にまで来てしまった。白がいたらやめようと思っていたのに、白はいない。札の番人として、見過ごせない。雉明は、自分のずるい部分を見たような気がした。
 新宿という街の、交差点で、二人でぼんやりと人波を見ながらぽつぽつと話すのとは違った静寂が、ここにはあった。七代ととりとめない話をしたいと雉明はよく考えていたが、こうして七代の寝顔を見ながらぼんやりとするのも、雉明は好きだった。

 そんなことを考えていたら、ううん、と七代が寝返りを打った。雉明はびっくりした。座っている自分の方に寝返った七代は、起きる様子もなく、眠っている。投げ出された手に、触れたいという思いを感じながら、雉明はそれを押しとどめた。
 その代わりに、めくれた布団をかけなおす。わずかに七代の甘いような、香りがした。触ったら、七代はどんな感触がするのだろう。齧ったら、抱きしめたら、髪に顔をうずめたら、欲求は尽きず、止まらない。

 これまで、断ち切ることのできなかった花札の宿命を、雉明は止めようとしている。これ以上、誰かの命で札を守るようなことはしたくなかった。七代なら、なおさら。
 だが、こうして七代の顔を見ると、雉明の気持ちはわずかにゆれて、たくさんのしたいことができる。してほしいことができる。最後には、とんでもない考えを抱いてしまう。
 七代が、執行者として、おれのために死んでくれたなら。
 いつからか雉明はそんなことを考えるようになっていた。普段は決して浮かび上がらない恐ろしい考えは、七代の眠る姿を見るようになって思うようになった。
 七代の笑う顔が、雉明は好きでたまらないのに、どうしてこんなひどいことを考えてしまうのか、雉明にはわからなかった。

 自分が怖い。いまは、七代を死なせたくないために動いている。だが、それが、逆転してしまったら―――――。
 
「七代」

 ちいさく、本当にとてもちいさく。雉明は七代の名前を呼んだ。聞こえないように言ったから、七代はもちろん反応しない。それがまた、せつなくて、雉明はもう一度名前を呼ぼうか考えた。
 考えて、雉明はそうっと、七代の顔に唇を寄せた。七代のぬくもりが空気を伝わって雉明の肌に触れる。あたたかい。どんなに恐ろしいことを考えていても、どんなに悲しいことを考えていても、すべて許してくれるだろう。そんなぬくもりだった。
 雉明は舌を出して、おずおずと七代の唇を舐めた。浅ましい心持ちと、神々しい気持ちでいっぱいだった。七代の柔らかな肌の、すべらかな冷たさと、皮膚の下で流れているだろう血潮の流れを雉明は啜りたくなる。
 雉明の舌に自分の歯が、牙のように尖って刺さるのを感じる。自分の本当の姿ともいえる獣の本能が、七代を食い散らかせと命じているのかもしれない。
 このまま、本能に従ってしまおうか。雉明の欲求が滴り始めた。だが、雉明はそうしなかった。
 部屋の上、屋根に何かが降り立つ音が聞こえたからだ。
 白だ。雉明はほう、と胸をなでおろすような安堵感と、後悔の念が混ざり合ったおかしな気持ちだった。名残惜しそうに舌を離す。
 それから、入るときと同じように部屋から出て、神社から離れた。振り返り、白い鳥が七代の部屋に入るのを見届ける。
 雉明は瞬きをして、舌の上に残った七代の味に、唇を舐めた。
 

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