頬の上なら満足感のキス

ユリリエ/友情ED?/レハト男性
※レハト台詞有り


 足元に散らばったカップの破片を靴底でいじりながらレハトはユリリエを見た。
「僕はユリリエのこと好きだよ」
 成人して間もない幼さの残る口調で、しかし確かに男性を選んだのだとユリリエが気づくくらい真摯な瞳だった。ユリリエはレハトのささやかな成長を見守る親兄弟のような心持を感じた。闖入者とそしられたこの少年は、今やユリリエも及ばぬほど城の中で名を馳せている。
「ありがとうございます、レハト様。ですが、そう簡単に自分の好意を告げるのは、少しお控えになられては?もう未分化の頃のようにあなたの言葉の一つ一つを撫でて返して差し上げることはできなくってよ」
 侍従から受け取った新しいカップの表面をなぞりながら、ユリリエはレハトに笑みを向けた。すべての人に等しく対するのがユリリエの信条だが、ユリリエ自身気づかずにする男に対しての笑みというものがある。レハトに向ける笑みはまさしくそれだった。
「うーん、ユリリエは固いなあ。そんなだから、僕とユリリエの関係を誤解した人が、僕のお気に入りを割るんだよ」
 さして悩んでいる風もせず、レハトは紅茶を啜った。そして、破片を拾い上げた侍従を手で止め、破片を入れた敷布の中に手を突っ込んだ。
 つい先日舞踏会で社交辞令とも気づかずに微笑んだ三流貴族の男が、自分はユリリエに気に入られたと思い込みしつこく絡んできたので、はっきりと拒絶の意を示した。
 すると翌日、ユリリエとレハトのささやかな楽しみである午後のお茶会が、男の罵詈雑言と無礼で染まった。おかしくてたまらないといったレハト(彼は退屈の紛らわせ方が少々歪んでいる。それはユリリエとてそう変わらないが、彼の場合は自分に降りかかる災難はすべて娯楽のように受け取るのだ)にきりきりと怒りを募らせ、爆発した男は、あろうことかレハトに殴りかかった。すんでの所で衛士に取り押さえられ引きずられていったが、暴れる男の足がテーブルにぶつかり、レハトのお気に入りのカップを落として割ったのだ。
「先ほどの方の言葉を借りれば、私はとんだ浮気者だそうですわよ」
 レハトの行動に驚くことなく、ユリリエは言葉を紡いだ。
 自分に向けられた笑顔がすべて好意によるものだと考える男の浅はかさは、レハトもユリリエも興味がない。ユリリエの興味は、割られたカップだった。
 カップが落ちた瞬間、レハトの顔は一瞬喜び、悲しみ、また喜びを浮かべた。 
 レハトはあっはっはと笑いながら、破片を宙に掲げる。成人後初めて赴いた村で手に入れたカップらしい。
 実りの時を思わせる黄金色の破片は、注がれる太陽の光を受けてその色を輝かせている。
「ああ、やっぱり割れた方がきれいだな」
 レハトがうっとりとつぶやくと、ユリリエはいささか驚きを隠せず、目をわずかに丸くして言った。
「あら、初めから割るつもりでしたの?」
 ユリリエの不思議そうな顔に、レハトは幼い顔を男性のようなほがらかさで覆って笑った。
「そうだよ、使ってるうちに愛着が湧いたから、割らなかったけど」
 レハトはそう言いながら、破片を衣服の中にしまった。それから、ユリリエをいたずらっぽく見、にこやかに
「欲しいの?」
 と、言った。ユリリエはレハトの顔をじっと見た。欲しいと言ったら喜んでくれるだろう、欲しくないと言ったら無理やり渡すだろう、そんなあべこべな表情だ。
 不完全なものなど、ユリリエは欲しくない。ユリリエの本当に欲しいものは、完全なものなのだ。だが、レハトのコロコロと変わる表情やあいまいにごまかされる視線をそばで見続けてきたユリリエには、レハトという不完全な存在のくれたものなら、受け取ることができるのではないかと思った。
「頂けるかしら、レハト様」
「うん、いいよ」
 レハトは笑顔を浮かべて、破片を取り出した。黄金色に輝く破片は、割れてもその輝きを失うことなく自らの尊厳を保っていた。いや、むしろ、レハトの言う通り割れたからこそこの輝きを放っているのかもしれない。
 ユリリエが両手で破片を受け取ろうと手を伸ばすと、レハトは破片をユリリエの手の上に置いた。破片はきらきらとユリリエの手の中で光り、まるで宝石のような美しさをユリリエに見せた。
 レハトが手をユリリエの手に乗せると、「きれい?」と聞いた。ユリリエが「ええ」と顔をあげてレハトに言おうとしたその時、頬に柔らかな何かが押し付けられる。
「えへへ」
 頬をゆるませ、照れくさそうに笑うレハト。
 ユリリエは憤りよりも先に、この妙に子供っぽい友人の一挙手一投足が、自分自身の友好の範疇を超えていきそうなのをひそかに感じた。
 しかし、それが不快ではなく、今後愉快になっていくことにユリリエは満たされたような気持ちになった。
 まずは、女性に対する扱いを教えて差し上げなくてはね。そんな考えに気づくはずもなく、レハトはただユリリエを見ていた。
 
 20100813

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